映画「八日目の蝉」の意味とは
映画「八日目の蝉」のネタバレも含みます。
「八日目の蝉」は永作博美さんと井上真央さん主演
原作は角田光代さんの小説です。
色々なことを考えさせられる映画です。
八日目の蝉の意味とは
八日目の蝉はどういう意味なのでしょうか。
映画八日目の蝉は、前向きな終わりです。
八日目の蝉に関しては、秋山恵理菜(井上真央)と安藤千草(小池栄子)の会話があります。
「蝉は何年も土の中にいるのに地上に出てきてからは7日しか生きられない」
その短さを安藤千草はかわいそうだと言っています。
蝉がみんな7日で死んでしまうなら悲しくない、8日目の蝉がいたとしたら自分だけ残ることその方が悲しいという秋山恵理菜。
その後、少しずつ心境の変化をしていく2人
秋山恵理菜は8日目の蝉がいたとしたら7日目の蝉が見れなかった綺麗なものを見ることができるのかもしれないということを言っています。
八日目の蝉というのは他の蝉とは違う蝉。
八日目の蝉とは他の蝉とは違うけれど他の蝉が見れなかった素晴らしい景色を見ることができるのではないかと前向きな心境へと変わっていきました。
ここから先ネタバレも含みます。
その前に映画「八日目の蝉」を見たいという方こちらからどうぞ!
八日目の蝉の映画のストーリー
映画「八日目の蝉」を年に2回は見ています。
「八日目の蝉」の映画のストーリー
永作博美さん演じる野々宮希和子が不倫相手の子どもを誘拐して育てる
その不倫相手の子どもというのが、井上真央演じる秋山恵理菜。
誘拐され、野々宮希和子に名付けられた名前は薫。
野々宮希和子は不倫相手の子をおろしてしまったことで妊娠できない体になってしまいます。
そのことを不倫相手の妻、秋山恵理菜の産みの親に責められます。
だからと言って、もちろん誘拐はしてはいけません。
誘拐期間は4年間、秋山恵理菜こと薫が4歳の歳に産みの親の元へ返されます。
子どもにとって産まれてからの4年間がどれだけ大事でしょうか。
「三つ子の魂百」と言われるほどとても大事な時期です。
産みの親の元に返されてからが本当に辛いです。
4年間お母さんだと思っていた人は違ったと言われても受け入れられるはずがありません。
そして、産みの親とはまともな親子関係を作ることは叶いません。
そして、ひとり暮らしでアルバイトをしながら大学に行っている秋山恵理菜。
そこに、小池栄子演じる安藤千草が現れます。
すねかじりでフリーライターの端くれの安藤千草はかつての誘拐事件について調べていました。
後に安藤千草は薫と共に幼少期を過ごしたことが明かされます。
誘拐された時のことは覚えていないと断る秋山恵理菜
諦めずになんでもいいから思い出したことを教えてとつきまとう安藤千草。
そしてしばらくして秋山恵理菜が身ごもっていることが分かります。
相手は劇団ひとり演じる岸田孝史、彼には妻子がいるので秋山恵理菜とは不倫です。
意図せず秋山恵理菜は薫の母親、野々宮希和子と同じ道を歩みます。
身ごもったことでの変化なのか岸田孝史と別れを決意します。
その後、安藤千草と共に野々宮希和子と過ごした土地を巡ります。
そこから野々宮希和子と薫の生活に舞台が移ります。
野々宮希和子はいつ警察に見つかってしまうのかビクビクしながらエンジェルホームという新興宗教に入ります。
しばらく平穏に続いた生活も終わりを告げ、エンジェルホームから出て行くことに。
そこからエンジェルホームで仲良くしてくれた人の実家のある小豆島で働きながら薫との生活が始まります。
小豆島には自分たちを知っている人もおらず、近所の子たちとも楽しく平和に過ごしています。
小豆島の美しい景色や風土がこちらにも伝わってくるようなシーンが続きます。
しかし、その生活もある写真がきっかけで終わりを告げます。
その時には薫はもうここを離れたくないと言えるくらい成長していました。
野々宮希和子は最後の思い出に町の写真館で記念写真を撮ります。
その後、島を出ようとフェリー乗り場目前で警察に捕まってしまいます。
その合間合間に大人になった秋山恵理菜と安藤千草は小豆島を巡っています。
何も掴めずに島を後にしようとした秋山恵理菜。
最後に野々宮希和子と撮った写真のことを思い出します。
そして写真館へ行き、出所した野々宮希和子がすでに写真を持っていったことを聞きます。
その瞬間、秋山恵理菜はちゃんと愛されていたことを思い出すのです。
船乗り場から走り出す秋山恵理菜「誰も憎みたくなかった」と感情を爆発させます。
子どもを愛したい!働いて何でも見せてあげたいと産むことを決意するのです。
それから年に2回はふと、見たくなる映画になりますが、
私は思いました。
その時は結婚もしてないし、子どももいない、
これを子どもを産んだ後に見たら気持ちが変わるのだろうかと。
映画八日目の蝉の感想
表面的に見れば誘拐犯と被害者なので野々宮希和子が100%悪いです。
ただ、野々宮希和子が薫をどれだけ愛していたかを見てしまうとなんとも言えない気持ちになります。
そして誘拐してしまうほど追い詰められた状況。
軽い言葉で人の心を弄ぶ既婚者が1番悪いのですが、裁かれません。
しかし、そういうことは置いといて見たい映画です。
私自身、子どもを産む5年ほど前に出会った映画です。
その時から子どもを置いて家を出ることは絶対ないと思ってはいました。
子どもを産んで誘拐されて他の人に育てられたら…。
当たり前ですけど絶対に嫌です。
実際、子どもを産む前と産んでからの感想はほぼ変わりませんでした。
産む前から「産むことがそんなに偉いのか」と思っていました。
野々宮希和子は自分が産んだわけではない子を我が子のように可愛がりました。
その子のことを大事に思っていれば産んだかは重要ではないと感じます。
野々宮希和子はただの犯罪者だと思っている方には理解できないかもしれません。
しかし、私は野々宮希和子のような気持ちで子どもを愛したいなと思いました。
子どもが産まれてから、自分が少しでも部屋を離れる時には完全に窓を閉めています。
完全に「八日目の蝉」の影響です。
なので絶対に誘拐してほしくはないのですが、そして誘拐したくなる気持ちに影響されてはいけないのですが…
これからも年に2回は見ると思います!
1番泣くシーン
映画を見ているときは大体どのシーンでも泣いています。
しかし、特に泣いてしまうシーンがあります。
野々宮希和子が幼い薫を1人でフェリー乗り場に送り自分は警察に確保された時のセリフです。
「その子はまだご飯を食べていません…よろしくお願いします」と頭を下げるシーン
もう、そこだけ見ても涙腺崩壊です!
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映画「八日目の蝉」の意味を考えてみました。
八日目の蝉の感想を書いている時にはすでに号泣の私。
見るたびに子どもを産むことと育てることについて考えます。
「産む以上の愛情」が育てることで湧き上がるのではないかなと感じました。
賛否両論あると思われる映画です。
ぜひ、感想を聞かせてください!